こんにちは。#みんなの生理です。 今日は私たちが最もこだわっている「生理のある人」という表現について、そして私たちがなぜ「女性」団体である と言い切れないのか、ということについて書きたいと思います。
私たちが生理について語るときは「女性」ではなく、あえて「生理のある人」(menstruator)という表現を用いています。
「女性は生理があるから感情的で信頼できない。」 このようなステレオタイプによって多くの「女性」が虐げられてきたことは事実ですし、「女性」の問題として捉えられてきたから生理の問題がスルーされてきたことも否めません。また、女性嫌悪に基づく生理のタブー視があることも否めません。
しかし、それでも私たちは「生理のある人」という表現をこだわって使っています。なぜ私たちはこの表現にこだわるのでしょうか。
1つは「女性」と言うことで、「女性」にしか生理がないというメッセージを発信してしまい、多くの人を排除してしまうからです。 生理を経験しているのは、必ずしも「女性」だけではありません。トランスジェンダー(FtM)の人、ノンバイナリ―の人、Xジェンダーの人など、たくさんの「女性」ではない人が生理を経験しています。「女性」にしか生理がないといった場合に、このような人々を排除することになってしまいます。その結果、「女性」ではないけれど生理がある人のニーズが無視され、必要なケアが届かなくなってしまいます。
2つ目は、生理があるのであれば「女性」であるという考えも同様に多くの人を排除してしまうからです。 トランスジェンダー(MtF)の人、初潮を迎えていない人、閉経した人、摂食障がいによって生理がない人、病気や手術によって生理がない人など、様々な事情によって生理がなくても「女性」である人はたくさんいます。生理があることを「女性」であることの条件としてしまうことはあまりにも乱暴だと考えています。
さらに、「生理のある人」という表現を用いることで排除される人を減らすだけでなく、「生理のある人」という表現をこだわって使うことで、この社会のジェンダーに対する固定観念をじわじわと壊せるのではないかと考えています。上記の1つ目の理由で述べたように、「生理がある人」という表現は必ずしも「男性」か「女性」に当てはまらない人の存在を明らかにし、性別には「男」と「女」しかないという男女二元論に抵抗することになります。加えて、2つ目の理由で述べたように「生理がある人」という表現を使うことで、ジェンダーは身体の特定の特徴によって定義されるという考え方にも異論を唱えることができます。子宮がなければ女性ではない、ペニスがなければ男性ではないといった考えに私たちは対抗します。
このように、「生理のある人」という表現をこだわって使うことで、地道ではありますが、社会のジェンダーに対する考え方に変化をもたらせるのではないかと考えています。
以上の通り、活動から排除される人がいないことと社会のジェンダー観を変えていくことを大事にしている団体であるがゆえに、私たちは「女性」団体であると言い切れないのです。これが私たちの団体名でもある「#みんなの生理」に込められた思いです。 これからも「みんな」で「みんな」の問題としての生理について考えていくための活動をしていきますので、応援のほどよろしくお願いいたします。
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